2021-06-03 第204回国会 参議院 国土交通委員会 第19号
イギリスのジェームス・ベディングさんは、四肢麻痺のために手足を動かせませんが、口に専用のペンをくわえてコントローラーのジョイスティックを操作し、ドローンを操縦しています。障害のため移動が困難な彼にとって、ドローンは、車椅子では行けなかったところに飛んでいける、自由を与えてくれる存在だと言っています。
イギリスのジェームス・ベディングさんは、四肢麻痺のために手足を動かせませんが、口に専用のペンをくわえてコントローラーのジョイスティックを操作し、ドローンを操縦しています。障害のため移動が困難な彼にとって、ドローンは、車椅子では行けなかったところに飛んでいける、自由を与えてくれる存在だと言っています。
例えば、アメリカ合衆国との間には、刑事に関する共助に関する日本国とアメリカ合衆国との間の条約というものがありますので、いわゆる証拠収集等の協力を求めることは可能です、そういったジェームス君とかトム君とかがやっていることについて。
そして、このように幾つか、これは東京都にあるハーモニーというところにジェームス・ジャックというカナダ人のアーティストが写真をテーマとして交流したりしております。 そして、それを集めたのがTURNフェスというので、つい先月、東京都美術館で二回目のTURNフェスを行いました。一回目は、ちょうど一年前の三月に同じく東京都美術館で行いました。
まさにこのジェームス・クックさんの公聴会なんですけれども、この中で、改正民法七百六十六条の解釈について、これは私が三月八日に法務委員会で行った金田大臣とのやりとりが掲載されているわけであります。
そのトップテンリストに対して公費を付けて全国に公募する、研究者を募るというようなジェームス・リンド・アライアンスというイギリスでの取組を紹介したネーチャーの論文です。こういった取組が欧米では注目されていて、その日本版が言わば当事者研究と言えるものなわけですね。
この事件を受けて、在日米海軍司令部、横須賀市にありますが、ジェームス・ケリー司令官は、判決が出ても、事件の悲劇が多くの方々に決して癒やすことのできない感情的な傷を負わせたことを認識している、今後、同様の事態が繰り返されないように再発防止に全力を尽くすと述べています。
同じ頃、一方、アメリカの軍のこの問題に関係してきたジェームス・カートライト米軍統合副議長、元ですね、は五百発までアメリカの安全を損なうことなく減らせることは可能だという提案をいたしました。これはNGOの報告書の中で行ったものであります。 五百発というのが実現すれば、非常に新しい段階が出てくるだろうというふうに思っています。
その中で、韓国の議員と話した話の提案の中に、ジェームス三木氏が脚本を作られた舞台「つばめ」というものを、日本と韓国で共同で番組を作って、そして両国に流してはどうかということが議論されました。
の中で、不確かな情報に基づいても結構だから、だれだれさんがいたとか、だれだれさんであるというふうに思うという形でもいいから言いなさいということから私どもの名前が出されたわけでありますけれども、後でマスコミのインタビューとか読売新聞のインタビューで、額賀さんが行っていないということであれば私は逆に不安になってきたと、そういうことをきっちりと言っておりますし、それから、当日は私はジム・アワーさんを、ジェームス・アワー
まず、十二月四日はジェームス・アワー氏を慰労する会合であったと聞いておりますけれども、その主賓のジェームス・アワー氏自身が十一月三十日に記者会見をされまして、私が宴席に出席した事実はないと明言をしております。その上、私とは、面識はあるけれども、朝食も昼食も夕食も、一回もとったことがないと断言をしております。
○大久保勉君 じゃ、平成十七年十月十九日と平成十八年六月にジェームス・アワー氏と会ったということですが、どういうことを話をしたか覚えていらっしゃいますでしょうか。
○国務大臣(額賀福志郎君) 今、大久保委員のおっしゃることでございますけれども、先週、守屋証言によりまして、私が一昨年ごろジェームス・アワー氏を囲む会に守屋さんや当時山田洋行の宮崎専務とともに宴席に出席をされたということでございましたので、私もそういう記憶は全くないという話をしておったわけでありますが、今日まで私の事務所の私に関する日程表、それから当時防衛庁長官時代の日程、それから運行表、それからジェームス・アワー
○国務大臣(額賀福志郎君) それは、私が直接ジェームス・アワー氏に電話したのではありません。私の弁護士がジェームス・アワーさんに電話をしまして、ジェームス・アワーさんの方からこの人に話をしてもらいたいということで、その代理人の方がその連絡をよこしたということであります。もちろん、ジェームス・アワーさんは日本語も分かりますし、弁護士の方から用件はジェームス・アワーさん本人に伝えたわけでございます。
フロリダ大学の名誉教授のジェームス・シンプソン氏、大臣は御存じだと思いますけれども、貿易のとりこ、すなわち食料を輸入に頼るということの問題について非常に警告をされております。経済的効率への偏重や、今申し上げたような貿易のとりこになって、農地を失い、農家を失い、我が国の農業を失うことがあっては、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまう。
その後、米軍普天間飛行場に立ち入り、在沖米海兵隊バトラー基地司令官であるジェームス・F・フロック准将及び普天間飛行場の基地司令官であるリチャード・W・ルーキング大佐と会見し、同施設と在沖米海兵隊について説明を聴取し、意見交換を行うとともに、同施設内を視察いたしました。
世界の農業問題に詳しいジェームス・シンプソン・アメリカ・フロリダ大学名誉教授にお話を伺ったことがありますけれども、日本の自給率について、次のように指摘をされています。このまま食料の海外依存が進めば、日本は常に輸出停止におびえる貿易のとりこになってしまう、自給率を向上させることは日本国民全体の権利を守ることにつながるというふうにおっしゃっています。
先ほどの気象庁長官の異常気象であるという答弁がございましたが、これは既に平成十三年度版の防災白書に書き込んでございまして、さらにそれをさかのぼること一九八八年に、アメリカの上院におきましてジェームス・ハンセン博士がこのように証言しております。 地球の気温は上昇しつつある。これは自然現象ではない。人間の活動によるものである。特に化石燃料の大量消費によってもたらされたものであります。
第一のエピソードは、一七八九年から九〇年にかけて、アメリカ独立宣言の起草者であるトーマス・ジェファーソンと、アメリカ憲法の父と称されますジェームス・マディソンの間で交わされた書簡であります。一七八九年、パリにおきましてフランス革命を目の当たりにしましたジェファーソンは、当時、ジョージ・ワシントンが初代大統領に選出され連邦政府の樹立を見た母国アメリカのマディソンにあてて一通の書簡を書いております。
ジェームス・ブライアント・コナントという非常に有名な、今日の総合制高校の基本的なものを理論として、実態調査を全面に行いながら、一九五九年ですから古いものですが、今日でもこのコナントの理論というのはアメリカの高校教育の中に生きておりますが、その中で言われております高校教育の一番何をやるところかという基本的な問いに対しましては、一つは職業準備教育、職業教育、もう一つは進学者のための準備教育、それの、準備
民間でも、例えば新聞記者という極端な例がいいかもしれませんが、ジェームス・レストンという、たしかワシントン・ポストきっての敏腕記者の給料は、私の記憶では、キャサリン・グラハムという社長より一ドル安い。ただし、彼のポジションはというと、一記者、しかも政治部。ワシントン・ポストの一記者でありながら、彼の給料。